ソロモンはダビデのようではなく、その治世の後半においては神に従いませんでした。すると、周辺の国々がイスラエルを悩ますようになり、ハダデやレゾンが敵対するものとして現れました。内部からも家来であったヤロブアムが台頭します。イスラエルは主と離れた結果、外にも内にも問題を抱えるようになりました。
ソロモンはダビデのように最後まで主に従い通しませんでした。たとえ、その人が過去にどんなにすばらしい主の働きをしたからといって、その功績によって後はどんなに悪いことをしても大目に見てもらえる、ということにはなりません。神様が私たちに問われているのは今です。過去にどんなにすばらしい働きをしたかではなく、今、主とともに歩んでいるかが問われているのです。反対に言えば、過去どんなに神様から離れていたとしても、今、主に立ち返るなら、神様は私たちを喜んで迎え、祝福してくださいます。
700人の妻と300人のそばめはソロモンにとって明らかに必要ではありませんでした。外国との友好関係のためなどと、もっともらしい言い訳をしていたかもしれませんが、明らかに正常な夫婦の状態とはかけ離れています。金銭的にはどの女性も満足していたかもしれませんが、心のふれあいのなさが、女性たちをより熱心な偶像礼拝へと駆り立てた可能性もあります。私たちの夫婦関係はどうでしょうか。経済的に満たされているとしても、心が通い合っていないなら、そこから様々な問題を抱えることになるのです。
ソロモンを主から離れさせたのは妻とそばめたちでした。外国からやってきたソロモンの妻たちが、偶像礼拝をイスラエルに持ち込んだのです。ソロモンは、主のみことばよりも妻たちを愛して離れませんでした。彼女たちから離れないことが、主と離れることになったのです。私たちが今、離れなければならないものはありませんか。主と離れることにつながるものを愛していませんか。
主と離れた結果、イスラエルは内外に問題を抱えるようになりました。すべてのことが因果応報であるとは言えませんが、苦難のなかで自分の置かれている状況を謙虚に受けとめ、主との関係をもう一度確認するときを持つことも大切です。苦難にあったとき、かたくなな心にならず、素直に自分の罪を主に告白し、主に近づきましょう。