歴代誌第二3〜4章
6章では神殿の建設について、7章では王宮の建設と神殿内部の装飾品等について記されています。神殿に7年、宮殿に13年。竣工までに、それぞれ長い時間を費やしました。周到な資材の準備がなされ、神殿にも内部の装飾品にも英知が結集されて、壮麗に建設されました。
神殿の工事中に音は聞かれなかったとあります(6章7節)。仕事に携わる人たちが、主に対して厳粛な思いを持ち、主の神殿を真剣に心を込めて建設していた表れでしょう。私たちは主を礼拝することに対して厳粛な思いを持っているでしょうか。礼拝で泣き続ける赤ちゃんをにらみつけるのではなく、自分自身が心を静めて、厳粛な思いで主との交わりのときを存分に満喫しましょう。
神殿建設中に主はソロモンに現れました。そして、神殿建設が主の御心にかなっていることをソロモンに知らせました(6章12節)。主は私たちが新しい取り組みをはじめるとき、そのことが主の御心にかなっているのかを教えてくださる方です。はじめたことに不安があるのなら、主に祈り、みことばをとおして主の御心を求めましょう。主はみことばによって、私たちの進むべき道を示してくださいます(ヘブル4章12節参照)。
神殿完成には7年もかかりました。私たちが主の働きをするときに、長い年月をかけて計画を立てなくてはならないこともあります。長くかかるものほど労力も必要であり、真剣さも必要です。しかし、やがて完成したときには、長くかかったことのほうが喜びもひとしおでしょう。時間のかかることこそ、主から知恵をいただいて、入念に計画を立てて、よい準備をしたいものです。
ソロモンは神殿を建てた後で、王の宮殿を建設しました。ソロモンはまず主を第一とすることを自らの行動によっても民に示したのです。私たちも、主を第一とするということを、口で言うだけでなく、人に強要するのでもなく、自らの行動として示しているでしょうか。
神殿が完成してから、ソロモンは父ダビデが聖別した物を納めました(7章51節)。それらはダビデが敵に勝利して得た戦利品でした(第二サムエル8章11節参照)。ダビデは主によって勝利して得たものを、主のものとして聖別していました。それは当時の他の国とは大きく異なっていたことでしょう。自分のものとするのではなく、主のものとしていたのです。私たちは主によって得たものを、主のものとしているでしょうか。それとも自分だけのものとしているでしょうか。