第20火曜 列王記第一3章〜5章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】
「ソロモンの治世 1」

【並行記事】

 歴代誌第二1〜2章

【概要】

 3章では、主とソロモンの夢の中での会話が記されています。ソロモンは富や名誉ではなく、イスラエルを治めるための知恵を求め、そのことを主は喜びソロモンに祝福を与えます。また、ソロモンの裁きのエピソードは、日本で大岡裁きとして知られている内容と似ています。
 4章では、ソロモン王の治世とその繁栄について記されています。
 5章では、神殿を建てるための準備が記されています。ソロモン王はツロの王ヒラムの協力を得て、神殿建設に必要な木材、石材、熟練工を調達しています。

【適用】

 夢にはその人の本当の願いがあらわれることも多いでしょう。ソロモンは、夢の中でも富を求めず、主に知恵を求めました。私たちの本当の願いは何でしょうか。富や名誉が、私たちの本当の願いになっていないでしょうか。

 ソロモンは海辺の砂浜のように広い心を持っていました。しかし、それは神様から与えられたものと書かれています(4章29節)。私たちは、狭い心で身勝手な判断をしたり、人の話を聞こうとせず、理解しようとしないことがあります。自分の心の狭さや知恵の足りなさを認めて、広い心と知恵を主に求めるなら、それらのものは主によって与えられるのです(ヤコブ1章5節参照)。

 4章に記されている国の政治組織を見ると、ソロモンが、主に与えられた知恵を用いてすばらしい政治手腕を発揮し、国を統治していたことがうかがえます。私たち一人一人も主から賜物をいただいています。「自分は何もできない」とふてくされるのは自己卑下であり、謙遜とは異なります。主が与えてくださっている賜物を知り、その賜物を自慢するのではなく、主に感謝しつつ存分に用いる人こそ、主の前に謙遜な人なのです。

 ソロモンがツロの王ヒラムに神殿建設への協力を要請したことは、ヒラムを喜ばせました(5章7節)。私たちの周りには、信仰を持っていなくても喜んで主の働きに協力してくれる人もいます。未信者に遠慮しすぎて、かえって、主のもとに行くために心を開いている人に伝道するチャンスを失っていることがあるかもしれません。求めに喜んで応じてくださる方には積極的に声をかけて、ともに主の喜びにあずかる者となる日を待ち望みましょう。

 神殿建設には何万人もの協力が必要でした(5章15節)。キリストのからだである教会を建て上げるためにも、教会に集う一人一人の協力が不可欠です。牧師だけが教会を建て上げるのではありません。皆の協力によって教会が建て上げられるときに、教会は祝福され、成長していくのです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条