ダビデはこの頃、70歳くらいであったと思われます。彼の晩年は国の政治にあまり関心を示さなかったようです。そんななか、アドニヤが王になろうと画策し、それに与する者も現れました。しかし預言者ナタンの活躍によりソロモン王が誕生します。ナタンは知恵を駆使して主のみこころの実現のために奔走します。1章50節の祭壇の角をつかむという表現は2章28節にも出てきますが、いのちごいをする表現です。
これまでダビデは、アドニヤのことで心を痛めたことはなかったとあります(1章6節)。外見が良かっただけでなく、特に問題のない人物だったのでしょう。しかし野心を抱いた結果、とんでもない騒動を引き起こしました。富や名誉を追い求めると、人は正しい判断が奪われてしまうことがあります。私たちの日々の生活において、折にかなった判断がなされているでしょうか。もしそうでないとしたら、その原因はどこにあるのか、へりくだって吟味することも大切です。
ある人たちはアドニヤの味方をしました。それは現状から判断すると、アドニヤは生存している王子の最年長であり、美男子でもあり、一番王にふさわしいと考えたからでしょう。しかし、神のみこころはソロモンとされていたのに(1章17節。第一歴代22章9〜10節も参照)、そのことには気をとめないで、現状からだけ判断してしまったのです。私たちは目に見える現状からだけで物事を判断していませんか。現状だけを見て安易に考えたり、反対に現状だけを見て失望していませんか。私たちの判断の基準は、みことばとなっているでしょうか。そして目に見えない神に信頼し、希望をもって歩んでいるでしょうか(第二コリント4章18節参照)。
ナタンの行動は私たちのお手本とも言えるでしょう。預言者でありながら国の政治的なことに関しても無関心ではなく、主のみこころがなされるために積極的に行動しました。また、目に見える状況によって事を判断するのではなく、何よりも主のみことばを第一としていました。そして、自分を前面に出すのではなく、まずバテ・シェバに王の前に立ってもらう冷静さを持っていました。私たちは国の政治にも関心を持って祈っているでしょうか。また、感情に身を任せるのではなく、恐れるのでもなく、冷静に物事に対処しているでしょうか。