11章のバテ・シェバ事件の後、預言者ナタンはダビデのところに、たとえ話をもってその罪を指摘しに行った。人は、他人の罪はよく見えるが、自分の罪には気づかないことが多い。
ダビデは神に「私は主に対して罪を犯した」と自分の罪を認め、心から悔い改めたが、犯した罪によって、アムノン暗殺、アブシャロム戦死、アドニヤ処刑、アタルヤによる虐殺と、これまでのダビデの祝福と繁栄のとは全く逆の人生を歩むことになる。
神はダビデの罪を赦してくださったが、その罪の罰は消えない。しかし、バテ・シェバとダビデの子は、また与えられた。神がこの事件を完全に赦してくださったのである。その子ソロモンは「平和」という意味である。
ダビデの子アムノンとタマルとの事件が描かれている。それに対するダビデの姿はバテ・シェバ事件から来るものである。王としてアムノンを裁くべきであるのに、自分の罪を思い出し、2年が経っても何もできないでいた。それによって、アブシャロムによるアムノン殺害を引き起こした。
神のみこころは何か、なぜダビデのバテ・シェバ事件が赦されたのか、私たち人間には神のなさることが不公平に見えることがよくある。しかし、神は、私たちがどう感じようとも絶対である。自分の罪が神によって示されたとき、神の前から逃げず、「私は主に対して罪を犯した」と悔い改める者でありたいと思う。