神の箱は「ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名で呼ばれている」と2節にあるように、神のご臨在を表す「神の箱」をエルサレムに迎える。それはダビデにまさって、主なる神様こそが、イスラエルの本当の王であることを宣言し、受け入れる行為でした。ここにダビデの信仰が表されています。しかしそこでウザの事件が起こります。ダビデは、この事件を忘れないようにと、その場所を「ペレツ・ウザ」と名付けたほどです(8節)。「待った」がかかるように起こったこの事件の原因は「不敬の罪」でした(7節)。
イスラエルの民は、長らく主の箱をないがしろにしていましたが、この祭司ウザは長らく主の箱とともに生活をしていたと考えられます。しかし、いつしか彼は聖なる主を忘れてしまっていたと言えます。当時祭司は、モーセに主が語られたみことばに従って仕えることが求められていました。主の箱にはポールをつけ、そこに棒を差し込み、その棒を決してはずしてはならないと主は言われました(出エジプト25章)。また主の箱についた棒を、肩に背負うという形で運ぶべきだ、と主は言われていました(民数4章)。しかも、その箱を運ぶ祭司は、決して箱に触れてはいけないとさえ念を押して主は語っておられたのでした(民数7章9節)。それは、主ご自身が聖なるお方であることを祭司にも、民にもわからせるためでした。
ウザの事件をとおして、主の聖なることを知ったダビデと民は、主に対する適切な恐れをもって神の箱を迎えます。主が聖であられると覚えるからこそ、ご臨在くださる主に対して喜びが増し加わるのです(12〜15節)。
注) ヨセフォス『ユダヤ古代誌』には、アビナダブがレビ人であったと記されています。長らく神の箱を守っていた家であることを考慮すると、レビ人のなかでも、さらに祭司の家であったと推測できます。
主の与えてくださった安息のなかでダビデは、新しく建てられた王宮の窓から周囲を見回します。すると目に留まったのが、神の箱。あのウザの出来事があって後、主の箱は幕屋に納められていました。方や自分は杉材でできた王宮にいる。方や主の箱は布で覆われた借宿のような建物にある。この大きな差を感じたダビデは、もう一つの宮を主の箱のために作ろうと考えます。しかし主の御心はむしろダビデの家を立てることでした。
「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる」(12〜13節)
ダビデの家、王国がとこしえに堅く立つことは、最終的には、主イエス様において成就するに至ります。このダビデに対する約束は、今も私たちのうちに行われているキリストのご支配をも意味しています。究極的にすべてを主導するのは、私たちの業ではなく,壮大なご計画を進める主。それゆえ私たちもダビデのように、はるかに優る主のご計画に心を開き、受け入れましょう(25〜29節)。
祝福の約束を受け取ったダビデは、その約束のとおりに、力を増し加えられ、王国の領土を広げていきます。西のペリシテ人の地(1節)、東のモアブの地(2節)、北のユーフラテス川(3節)、ダマスコとアラム(5節)、そして南のエドム全土(13節)と、ダビデはエルサレムを中心に勢力を広げていきます。その背後には主の御手がありました(6・14節)。ここに挙げられた領土は、かつて主がアブラハムに約束されたカナンの地と重なります。「祝福の基になる」と主がアブラハムに語られた約束が、確実にダビデに継承されていく様子を8章はつづります。