26章では主の守りの確信を告白したダビデでありましたが、27章は彼の不可解な行動を記します。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう」(1節)。ガテに逃れ、ペリシテの一員になる出来事は、この突然のように襲ってきた恐怖からスタートしました。
ダビデがここで経験していることは「疲れ」でありました。イスラエルにとっての敵国ペリシテに逃げ込み、協力者となったのは、サウルからの追跡があったからではありません。むしろ、サウルのもとに乗り込み、無事にそこから戻り、身の潔白を証言することができた、という成功体験のあと。それだけに不可解に見えるのですが、成功体験のあとにくる疲れ、いわゆる燃え尽き症候群を味わったのではないかと思われます。人を欺き続け、身を隠し続ける。しかし、先を見据えた長続きする選択ではありません。
疲れからくる恐れに見舞われたとき、確かな主のもとにいき、確かな主の御力にお頼りしたいと願わされます。
「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。『立ち帰って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。』 しかし、あなたがたは、これを望まなかった。あなたがたは言った。『いや、私たちは馬に乗って逃げよう。』」(イザヤ30章15〜16節)
ペリシテ人の陣営に恐れを感じたサウルは、主に伺います(5節)。しかし一向に主の御声が聞こえない。そのため、サウルは主の禁じておられた霊媒に足を運び、天に召されたサムエルの声を求めます。すると神様は、特別に霊媒に介入されて、サムエルの声をとおしてサウルの現状を語られるのでした(御心にかなわない霊媒という方法であるにもかかわらず!)。
「主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主は、きょう、このことをあなたにされたのだ」(17〜18節)。19節ではイスラエルの敗北が語られます。
思えば、サウルの登場は9章でした。イスラエル王に就任直後、全焼のいけにえをささげる場面(13章)においても、アマレクへの聖絶命令の場面(15章)においても、彼は主の御声を退け、自分の思いを実行しました。それ以来28章に至るまで、真の悔い改め、主への従順の姿は彼のうちに見られなかったのでありました。
「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(第一サムエル15章22節)