少年サムエルが神様に何度も呼ばれ、最後には「お話ください。しもべは聞いております」と応える話は、教会学校に通っていた人なら一度は聞いたことのある、聖書の名場面です。
しかし、この少年サムエルが「お話ください。しもべは聞いております」と答えたことによって神様から聞いたことばは、サムエルにとって、耳に心地よいものではありませんでした。それは、サムエルにとって師であるエリへのさばきのことばだったのです。
少年であるサムエルが、このことばを聞いて、どれだけ心が重かったことだろうかと思います。事実、サムエルは神様から聞いたことばをエリに語るのを恐れていました(3章15節)。考えてみれば当然です。幼い頃からエリのもとで育てられてきたサムエルにとって、エリはとても大切な存在であったはずです。しかし、そのエリに対するさばきのことばを聞いてしまったのです。そのことばをエリに伝えることを恐れるのは、想像に難くありません。
しかし、エリに伝えるように言われたサムエルは、すべてのことを話して、何も隠しませんでした(3章18節)。この少年サムエルの姿は、少年とは思えないほど立派です。サムエルにとって、これが預言者として初めての神様からお預かりしたことばでした。預言者としての初めの一歩が、サムエルにとってどれだけ苦しい決断の迫られるものであったか、わかりません。しかし、サムエルは一言も曲げることなく、真実を伝えました。
これが、神様に用いられた人、サムエルの若き日からの姿です。初めの一歩を踏み出すのには、サムエルも恐れを経験しましたが、しかし、どんなに難しいことでも、彼は神様のことばをまっすぐに伝えました。
このサムエルと神様はともにおられ、サムエルにご自身のことばを告げ、預言者として成長をお与えになりました。主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった(3章1節)この時代において、主は再び現れてくださいました(3章21節)。彼が語ることばは一つも地に落ちることはなく、かくしてエリに告げたことばも4章において現実のものとなっていきました。
神様に用いられるということは、決して私たちが自分の楽しいこと、やりやすいことだけをやっていれば良いというのではありません。ときとして、できればやりたくないこと、やることに恐れを感じることに直面することもあると思います。しかし神様は、神様に従って恐れを乗り越え、真実を伝えたサムエルを喜び、その生涯を大いに用いてくださいました。少年サムエルにとっては厳しいテストだったことは間違いありません。しかし、そんな彼とともにいてくださったのは、他でもない、主でした(3章19節)。このことを覚えつつ、今日の一日を歩めますように。