第15水曜 士師記10章〜11章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 アビメレクによる悲惨な出来事の後、イスラエルを救うために次々とさばきつかさが立ち上がり、イスラエルに平和が訪れた。しかし、イスラエルの民は、再び主の前に悪を重ねて行うのでる。まさに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」である。しかし、そのようなイスラエルに臨まれ続ける神に、私たちは目を留めようではないか。それはまさに「父」である。イスラエルの度重なる背信の罪に怒りを燃やされる父なる神、しかし、神は、ご自身の怒りを止めておられた。それはなぜか? そのことは、イスラエルの民と同じ罪と弱さを持つ私たちの教訓である。
 11章、さばきつかさとなったエフタによって、イスラエルはアモン人の脅威から守られる。しかし、11章の最後には何とも悲しい出来事が記されている。エフタの軽はずみな誓願によって、エフタの娘がいけにえとして殺されてしまう。エフタは神と取引したのである。神はあなたに何を求めておられるか?
 「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51篇16〜17節)


【信仰告白】

[2] 使徒信条