聖書の物語の筋書きは、大きく3つに分けられる。第一、世界は良きものである。第二、世界は堕落している。そして第三、世界は贖われ得る。そして、士師記は 読者に“人は堕落している”ということを嫌というほど見せつける。しかし、同時に、神は、堕落した人を贖われる(買い戻す)、あわれみ深いお方であることを示す。
5章のデボラとバラクの詩に見られる、堕落したイスラエルを贖われる神と、それに対するイスラエルの民の様々な態度から、今の自分自身と神との関係に光当てられてゆこうではないか。
6章、神は、堕落したイスラエルをいつ贖われておられるか? しっかりと読み取ろう。神は、選びの器であるギデオンを通して、イスラエルの贖いの業を推し進められる。主の使いとギデオンとのやり取りも興味深い。また、神とのコミュニケーションにより、ギデオンは、小麦を打つ者から神から遣された者、さばきつかさ、士師へと変革される。私たちは、神とギデオンのコミュニケーションから大いに学んでゆこうではないか。あなたもまた、あなたの隣人から世界に至る神の贖いの御業ために神に選ばれている器なのだから。