最後、レビ人に相続地が割り当てられます。これは、主がモーセに告げられた民数記35章1〜8節のとおりでした。
「大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならない。おのおの自分の相続した相続地に応じて、自分の町々からレビ人に与えなければならない」(民数35章8節)
レビ人の相続地は、他の部族に割り当てられた相続地から、おのおのが分に応じてレビ人に与えるよう、主から命令されていたからです。地上で得るものはすべて、自分のものではなく神のものある。最後に主の奉仕者である祭司レビ族に、自分たちの町を分け与えることで、改めて確かめさせられます。そうして各部族のうちからレビ族へ与えられる土地が決定し、聖書は主の約束がすべてそのとおりになったと言います。「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した」(21章45節)
そうは言っても、この時はまだ相続地を占領できていません(23章5節)。しかし、聖書は常に、神の約束は必ずそのとおりになると記します。まだ、手に入っていなくとも、神の約束に従って相続地が割り当てられた今、イスラエルはそれぞれ約束のものを神から与えられたも同然なのです。
「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16章33節)とイエスは言われました。主が勝ったと言われるので、たとえ自分の歩みやこの世の現実がどんなに絶望的に見えたとしても、勝利はすでに与えられているのです。
相続地の割り当てが終わり、これまでヨルダン川の東側の相続地を受けながらも戦いに協力してきたルベン族、ガド族、マナセの半部族は、彼ら自身の相続地に戻っていきます(22章)。相続地に戻った彼らは、そこで自分たちのために大きな祭壇を築きました。これが問題となったのは、別の祭壇を造ることが主に禁止されていたからです(申命記12章13〜14節)。西側のイスラエル人たちは、神への反逆と見なし、いくさの準備をはじめました。
神への不従順は決してあってはならない。イスラエルの民は、「ペオルで犯した不義」(22章17節。民数25章参照)、「アカンの犯した罪」(22章20節。7章参照)の経験で、主への不義は民全体を滅ぼしかねないと学んだのです。
けれどもヨシュアは、まず慎重に使いを送ります。そこでルベン族、ガド族、マナセの半部族は、22章22節以降で弁明します。このことは、自分たちの子孫が主を恐れることを忘れないためであり、主に反逆するためではない、と。ピネハスたちは、これを聞いて満足し、言いました。「・・・あなたがたは、今、イスラエル人を主の手から救い出したのだ」(22章31節)。一部の人たちの罪によって民全体が滅ぶことがなかったという安心です。
不従順は何としても避けなければなりません。でも、見た目だけで人をさばいてはいけません。相手の動機についてよく話しを聞いて、先走らないことです。