第14日曜 ヨシュア記12章〜14章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 12章までは、主が与えると約束されたカナンの地を征服してきた記録です。ここにイスラエルに征服されたカナンの王たちの名が挙げられています。パランの荒野から偵察隊を遣わした時は、主の約束を信頼し、与えてくださると確信したのはヨシュアとカレブの2人だけ。それから40数年後、ここに記されている名は、主の約束を信じる者だけが受けることができた祝福の記録です。

 しかし、主の祝福はまだ終わりません。主は、残っている地をそのままにせず、取りなさいと言われました。神が与えてくださるものは、私たちが期待する以上のものなのです。
 「主は彼に仰せられた『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている』」(13章1節)。年を重ねても、主が言われた約束は変わりません。
 「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている」(ヨシュア1章3節)と言われた主は真実なる神です。
 だから主は再び、「わたしは彼らをイスラエル人の前から追い払おう。わたしが命じたとおりに、ただあなたはその地をイスラエルに相続地としてくじで分けよ」(13章6節)と繰り返されたのです。「くじ」は、利己的な希望を持たず、ただ主の御心を求め、主が与えてくださるものを受けることです。レビの部族にはこの世に相続地はなく、祭司としての奉仕が相続地でした(13章14節)。主が仰せられるものを喜んで受け取るのが幸いの道です。

 さらに主の言葉を信じて生きる人は、カレブのように主の約束を実行します。
 カレブは言いました。「主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう」(14章12節)
 主が約束されたなら実行できる。と主の言葉を信頼して歩んで行きましょう。あなたに主が与えようとしておられる地は、どこでしょうか。何でしょうか。
 みことばのとおりに生きること、愛すること、信じること、赦すこと、罪から離れること・・・。あなたは、主が与えようとしている祝福を確かに受け続けているでしょうか。
 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです」(ピリピ3章12節)
 もう十分と言う自己満足、あるいは私にはこれ以上無理ですという自己卑下は、聖書の言う謙遜ではありません。「与えよう」と言われる主の言葉を確かなものと信じ、主の日を過ごしましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条