ヨシュア記に記されているヨシュア率いるイスラエルの民の歩みは、まさに私たちの信仰の戦いに似ています。モーセに導かれてエジプトを脱出し、荒野を40年間さまよってきたイスラエルは、ついに約束の地に足を踏み入れるときを迎えました。しかし、イスラエルを導くのはモーセではなく後継者のヨシュアでした。
ヨシュアがこれからイスラエルの民を率いていくというとき、主はヨシュアに直接勝利の約束を与え、「強くあれ。雄々しくあれ」と語られました。そしてその言葉を得たとき、彼は民のつかさたちにヨルダン川を渡る準備を命じ、ヨルダン川東岸にすでに相続地を得ていたルベン人、ガド人、マナセの半部族に、民の先頭に立って戦いに出ることを命じます。彼らはモーセに従ったようにヨシュアに従うことを約束し、ヨシュアに「ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたと共におられますように」と、そして「ただ強く、雄々しくあってください」と願いました。
ヨシュアはヨルダン川の対岸の町、エリコに2人の斥候(スパイ)を送りました。彼らはエリコの町でラハブという名の遊女と出会い、助けられました。ラハブは命の危険を冒して2人を助け、イスラエルがエジプトから出てからの歩みを聞き、イスラエルの神が神であると告白します。そして自分が彼らに真実を尽くしたように自分の父の家に真実を尽くし、いのちを死から救い出してほしいと願い出ます。彼らはラハブに誓い、窓に赤いひもを結ぶように言いました。そして、もしラハブが彼らのことをしゃべればその誓いから解かれることを告げ、エリコの町を後にしました。このようにして、ヨシュアが送った2人の斥候は守られ、ヨシュアに「主は、あの地をことごとく私たちの手に渡されました」と報告することができました。
ヨシュアはモーセの後継者として誰が見ても申し分のない人でした。ヨシュア自身、モーセに従い、イスラエルの民をどのように導いていけばよいかもずっと見てきました。とはいえ、荒野の40年間民を導いてきたモーセが去り、いよいよ自分一人の手にイスラエルの歩みがゆだねられたとき、彼は何よりも主の約束の言葉を必要としました。主が直接語られた言葉「強くあれ。雄々しくあれ」、そして、ヨシュアに従いサポートするものとしてルベン人、ガド人、マナセの半部族がヨシュアに語った言葉は、何よりもヨシュアを支えていくものになりました。そして実際に歩み始めたとき、エリコの町で斥候たちが出会ったラハブの出来事も、主がすべてを最善に備えてくださっている証拠としてヨシュアの目に映ったことでしょう。私たちが主の前に一歩を踏み出すときに必要なのは、自信や経験ではなく、主の約束のみことば、そして主が導いてくださるという信仰であることを心に刻みましょう。