モーセは死を前にして、イスラエル12部族(シメオンを除く)を祝福しました。彼はまず、荒野の40年間を振り返り、主を賛美し、その栄光と導きを語りました。そして、各部族に祝福の言葉を与えました。
ルベンには存続を。
ユダには神の助けを。
レビには祭司の務めを果たすものとして、果たすべき2つの役割(主の定めとみおしえをイスラエルに教え、主の御前でなされる祭儀を守ること)と祭司職の祝福を。
ベニヤミンは主に愛されている者。
ヨセフには、地上のあらゆる祝福があり、彼の牛の初子(エフライムを指すと思われる)は誰も阻止することはできないと語られます。
ゼブルンとイッサカルはともに語られ、ゼブルンは外に出て行き、イッサカルは天幕の中にいて喜ぶようにと語られます。
ガドはヨルダン川東岸に最初に相続地を求めた勇猛で最強の部族として、イスラエルの先頭に立って主の正義と公正を行います。
ダンは獅子の子と呼ばれ、獅子の生息地だったバシャンからおどり出て勝利を得るまで戦いに出ます。
ナフタリは恵みに満たされ、西と南を所有するように言われます。
アシェルは最も祝福され、兄弟たちに愛され、その足を油で浸すほどに、そして彼らの住む町の防御が堅固であるようにと祝福を受けました。
モーセは祝福の言葉の結びとして、イスラエルをエシュルン(正しい者)と呼び、これほどの祝福を受けた者は他にないと述べ、祝福の言葉を閉じました。並ぶもののない永遠の神がイスラエルを守り、豊かな祝福を与え、主によって救われ勝利を得るのです。
いよいよモーセは終わりのときを迎え、主が仰せられたようにネボ山、エリコに向かい合わせのピスガの頂から約束の地を見渡し、主の命令どおりモアブの地で死にました。モーセは120歳でしたが、最後まで彼の目はかすまず、気力も衰えませんでした。しかし、モーセは約束の地に入らず、ここで彼の役割を終え、永遠の休息を得たのです。しかも主ご自身がモーセを葬りました。彼の40年の労苦に対する報いと慰めがここにあります。
そして30日の喪が明けた後、モーセの後継者であるヨシュアが知恵の霊に満たされ、イスラエルの指導者として立ち、イスラエルはヨシュアに従い、主がモーセに命じられるとおりに行いました。
しかし主と顔と顔を合わせて選び出されるような預言者はモーセだけであり、主がイスラエルを贖いだすためのあらゆるしるしと不思議のためだったことが最後に語られています。
モーセがその使命を終え、この地上を離れるとき、最後にしたのは、32章の救いの道としての歌をイスラエルの民に伝えることであり、また、イスラエルを祝福することでした(33章)。モーセにとって、うなじのこわい民イスラエル、すぐに道を誤り不信仰に陥るイスラエルがいよいよ約束の地に入るというときに、彼らから離れこの地上を去ることは、モーセにとっては心配だったことでしょう。しかし、モーセは最後の最後まで、イスラエルの導き手としての役割を果たしていきました。
どんな人もいずれこの地上を去る時が来る。その時にどのようにして地上を去るのか。どのような姿勢で、主の前の歩みを終えるのかは、それぞれにゆだねられています。モーセが約束の地に入れなかったのは、彼のかつての失敗に理由がある語られています。しかし、入れなかったのではなく、主が彼の働きをよしとし、その役割を十分に果たしたとして、彼をその任から解放されたと見ることもできます。これから始まる新たな戦いまで、モーセが先頭に立っていくのではなく、約束の地を前に、後継者ヨシュアに託していく。
私たちもしたいことがすべて自分の人生で達成できるとは限りません。しかし、モーセのように、主がよしとされるまで精一杯、自分の役割を果たし、最後まで主に従い通したいものです。