この19章には非常に特徴のある規定が語られています。「逃れの町」の規定です。3節には「殺人者はだれでも、そこにのがれることができる」と語られています。
おそらく今まで、多くの人たちが誤解を持ってこの規定をとらえてきたのではないでしょうか。「逃れの町」をあたかも、どんな悪人でも受け入れてしまうなのような無法地帯としてとらえてきたのではないかと思います。しかし実際にはそうではありませんでした。この逃れの町に逃れることができる人というのは、まったくの不可抗力的な事故によって人を殺めてしまった者、そしてそういった者が、神の赦しと憐れみを受ける場所として備えられた町、それが逃れの町だったのです。
この規定を思いめぐらすとき、多くのことを教えられます。私たちはたとえ故意でなかったにせよ、どれだけ多くの人を傷つけてしまうことでしょうか。そして犯してしまったその過ちは、傷ついた者だけでなく、傷つけた者の内にも残っていくことでしょう。キリストは、姦淫の現場で捕えられた女に向かってこう宣言されました。「あなたを罪に定めない」(ヨハネ8章11節)
新約においては、まさにキリストご自身がこの女性の「逃れの町」になったと思うのです。私たちには、キリストがついている。キリストご自身に駆け込むとき、赦しと癒しと解放を経験するのです。