第11火曜 申命記4章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 これまでモーセは、出エジプト以降の40年を回想し、「かつての世代」が犯した罪に言及してきましたが、この章では「新しい世代」の罪に言及しています。それが「バアル・ペオル」の事件です。
 バアル・ペオルは、モアブの人々が慕っていた偶像です。イスラエルは、シティムに着くと、モアブの女たちと不品行を行い、彼女たちの神々を慕って偶像礼拝の罪を犯しました。その結果24,000人もの民が打たれて死にました(民数25章1〜9節)。
 シティムは「アベル・ハシティム」という町の省略した呼び名で、モアブの草原にあります(民数33章49節)。つまり次世代イスラエルは、カナンに入る直前に、この罪を犯しました。イスラエルの罪は「かつて」の問題ではなく「今」の自分たちの問題であり、他人事ではなく切迫感をもって教えを受けとめるように、とモーセは迫ります。特に異邦の民と関係を持つことを禁じ、繰り返し偶像を警戒し、徹底的に排除するよう命じます。

 カナンの地にはバアル教など、土着の宗教がありました。モーセはバアル・ペオルの件で、民がすぐに神から離れて偶像を造ってしまう弱い存在であることをつくづく知りました。真の神を恐れず、神を神としないところから、堕落が始まっていきます。そのためモーセは繰り返し「用心深くありなさい」「十分気をつけなさい」とイスラエルの民に偶像を警戒するよう命じます。そして、モーセ自身は民とともにヨルダン川を渡っていくことはできないので、神の教えと契約を決して忘れないように伝え、これらのことをきちんと子孫にも伝えるように命じます。もし、あなたがたの子孫がその地に永住し、堕落し、偶像を造るなら、彼らはその地から追い出される(25〜31節)とあります。このことばが後のバビロン捕囚で現実のこととなります。

 神の民が偶像の地を所有して生きていくために大切なことは、これから所有しようとしている地の真ん中で、堂々と神の教えに従って生きることです。そうすれば、その地を所有することができ、さらに「国々の民にあなたがたの知恵と悟りを示すこと」になります。天地万物を創造された神のみことばによる、知恵と悟りは、この世のものとは違います。世にはない、世の人々が驚くほどのものなのです。
 私たちが導かれた場所が、偶像の所有地となるか、神の民の所有地となるかは、私たち神の民が導かれた場所(国・職場・家庭・学校)の真ん中で神のことばに聞き従って生きるかどうかにかかっています。世の教え、世の価値観は変わっていきます。一方、神のことばは永遠に変わらず今に至ります。ある人は「聖書の教えは、今の時代に合わない」と言います。しかし、混迷する時代ほど、永遠に変わらない神のことばにしっかり立って、真実に生きる者は、輝いていくはずです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条