申命記はモーセ五書の5番目にあり、これまでモーセが民に伝えてきた律法が要約されています。「申命」とは「重ねて命じる」という意味です。
モーセは4章終りまで、出エジプトから40年間の旅路で経験した神の導きと、イスラエルの罪を回顧しています。ホレブで律法を聞き、神政国家としての体制を整えて、カナンに入る準備をしたイスラエルは、約1年後、向きを変えてホレブを出発し(7節)、カデシュ・バルネア(カデシュ)を経由してカナンに入る予定でした(6〜8節)。
ホレブからカデシュまで11日の道のり(2節)。しかしその間、イスラエルはたびたび神に不平をつぶやき、カデシュで決定的な罪を犯しました。その結果、すぐにカナンに入ることは許されず、38年間荒野を放浪することになりました。
出エジプトを経験し、ホレブで律法を聞いた世代は荒野で死に、新しい世代がイスラエルの中心になっています。荒野を出発した次世代イスラエルは、ヨルダン川東側から北上し、エモリ人の王シホンとバシャンの王オグに勝利し(4節)、ついにカナンの地を見渡せる「エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原」(民数36章13節)に到着します。
出エジプトから数えて第40年の第11月の1日(3節)、晩年を迎えたモーセは、これからカナンに入る次世代イスラエルに、神の律法を重ねて命じ、契約を再確認させます。
ここでモーセは、出エジプト18章の出来事を挿入し、次世代イスラエルに、リーダーの役割を民全体に再確認させ、隊の規律・秩序を正すことを意図したのでしょう。しかし人間中心の組織化ではなく、あくまでも「さばきは神のもの」であることを明確にし、カナンに入る前に、神を中心とした内部統制を整える必要があったのでしょう。それは約束の地を手に入れるために、これから数々の戦いと様々な誘惑が次世代イスラエルに待ち構えていることを暗示しているようです。
カデシュに着いたモーセらは、カナンに偵察隊を送りますが、彼らは、カナンの地について神の恵みを伝えるよりも、探った地を悪く言いふらし、「アナク人」のことで民の恐怖心を煽り、意気をくじきました。カレブやヨシュアは「恐れてはならない、主に背いてはならない」と民を説得しましたが、聞きませんでした。この罪の結果、神は、ご自分のことばに従うことを学ばせるため、イスラエルを38年間、荒野で放浪させ、神につぶやいた20歳以上の者はそこで倒れ、カレブとヨシュア、そして子どもたちだけが生き残ることを告げられました(民数13〜14章)。民は「自分たちは罪を犯した」と言って、今度はモーセの制止を聞かずに上っていき、エモリ人に返り討ちにされました。イスラエルの心を支配していたのは、神のことばではなく、恐れです。恐れが行動の動機になっています。モーセはこれからカナンに入る民に「神を第一とし、神のみことばに従っていくように」教えていきます。