「最良の新しい油、最良の新しいぶどう酒と穀物、これらの人々が主に供える初物全部をあなたに与える」(18章12節)
18章では、主はアロンに語られました。異例なことです。主はモーセをとおしてアロンに御言葉を与えることが普通でした。この異例なルートを通して語られた内容、すなわち、聖所と祭壇、会見の天幕の取り扱いは、アロンとその一族、それからレビ人に委ねられていました。それゆえ、それらの聖なるものに関係する汚れは、すべて、彼らの責任とされるのです。主がアロンに直接語りかけられた理由です。主の語りかけに、アロンは非常に緊張したに相違ありません。のどがカラカラになるような重大任務につく彼ら祭司とレビ人に対する報酬の規定が、続きます。レビ族は、イスラエルのうちの10分の1を与えられます。レビ族はそのなかから、さらに10分の1を主への奉納物として、祭司アロンに与えなくてはなりません。こうして祭司職につくものも報酬を得ることになります。10分の1は、昔からの制度でした。アブラハムとヤコブも10分の1をささげました(創世記14章20節・28章22節)。10分の1のささげものに関する預言がマラキ書にあることは、よく知られています。
19章には、きよめについての教えが記されています。「完全な」赤い雌牛がほふられ、その血は、会見の天幕に向けてふりかけられ、雌牛の体は、焼き尽くされなくてはなりません。その灰は、けがれからきよめられるときに用いられるのです。灰をきよい水とまぜ、その水を死体に触れたりして汚れた者にふりかけることによって、きよめられるのです。
けがれは、異常に伝播する力が強く、けがれたものから、きよいものへと、人間ばかりではなく、天幕や器などもすべて汚します。私たちの罪のようです。罪は、実に根強く私たちを支配しています。ふるってもふるっても、落ちません。罪を完全に洗い落とすには、救い主イエス・キリストの赤い血が必要でした。「赤い雌牛」とは、血の色を連想させ、さらに贖い主の流された血を思わせるのです。
18章12節には、「最良の新しい油」「最良の新しいぶどう酒」という言葉が記されています。いうまでもなく、神様にささげるものは、最良のもの、自分の持っているもののなかで、ベストのものでなくてはなりません。なぜなら、私たちの創造主であり、贖い主である方にささげるものであるからです。ささげものは、衷心からのものでなくては、ささげたことにはならないのです。「完全な」赤い雌牛と書かれているのも、同じ趣旨です。
わが身を十字架の上に磔にして、永遠のいのちを与えてくださった方に対しては、最善のものをおささげしても足りるということはありません。今日も、私たちの最善をささげつくすことができるように、聖霊様の御たすけを乞い願いましょう。