第8水曜 レビ記26章〜27章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 レビ記には、主がシナイ山でモーセをとおしてイスラエル人に与えた、おきてと定めとおしえが記されています。何を守り、何をすれば主から祝福を受け、何をすればのろいを受けるのか、こと細かに記されています。現代のキリスト者には直接適用されないと考えられる規定も少なくないのですが、得られる示唆も多いのです。神の求められる「聖」の基準の完璧さ、高さ、それに対する人の汚れの深さ、邪悪さ、陰険さ。どうあがいても、頑張っても、取り繕っても、到達できないにもかかわらず、なお神は、「わたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行う」(26章3節)よう私たちを招かれ、願っておられることを知ります。

 「わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる」(26章12節)は、聖書全体を貫くテーマです。イエス・キリストの贖いのゆえに救われ、神の民とされた者として、神と神のおきてを心から愛し、従い、限りない祝福を受けながら、地の果てまでも私たちの主なる神を宣べ伝えていきたいと願います。それにより、1人でも多くの魂が悔い改めて神に立ち返り、のろい(罪から来る報酬は死です。ローマ6章23節)ではなく、祝福としての神の賜物である永遠のいのちを、キリストにあって受けることができますように。


【信仰告白】

[2] 使徒信条