祭司と供え物の聖別に関する細かい事項が記されています。21章1〜9節は祭司に対する規定、10〜15節は大祭司のための特殊規定、16〜24節は祭司の肉体的条件、22章は祭司の注意事項です。
神は、祭司や大祭司に対し、「身を汚してはならない」「神に対して聖でなければならない」「神の御名を汚してはならない」「彼らは聖でなければならない」と要求し、細かい注意事項や肉体的条件まで提示されます。彼らの務めが、神の聖さを保ち、神の聖なる名が汚されないよう守り、彼ら自身が神に仕える者として神の聖さを反映する存在だったからでしょう。
でも、これらの規定と私たちとに、どんな関係や意味があるのでしょうか? 「21世紀に生きる私たちに何の関係があるの? 私たちには関係ない!」と読み飛ばしたくなるような箇所です。
ところが、実は関係大有りなのです。新約の時代に生きる私たちは、一人ひとりが神の祭司、万人祭司です。イエス様の尊い血潮により贖われ、義とされ、聖とされた神の子です。
神の聖なる基準は、私たちの基準より、はるかに高いもので、どんなにあがいても達することはできません。それでも諦めず、投げ出さず、いただいた救いに感謝し、みことばに応答しながら、召してくださった聖なる方にならって生きるよう、私たちは召されています。日々の生活のなかで、神の聖なる名に恥じない生き方を、聖霊の助けをいただきながら、目指したいものです。神は、私たちのような小さく貧しい器をとおしても、その御名の素晴らしさと栄光をあらわされるお方です。