第7木曜 レビ記14章〜15章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 14章には、「ツァラアト」のきよめについて記されています。
 4節には、きよめに必要なものに、「杉の木」「緋色の撚り糸」「ヒソプ」が挙げられています。ツァラアトは高慢の罪に対する罰と考えられていたので、背の高くなる「杉の木」は高慢を表し、虫の液で染色される「緋色の撚り糸」は虫のようにへりくだることを意味し、丈の低い「ヒソプ」の草もへりくだりを意味していたと考えられています。また「杉の木」は、木の力強さから、病気の人に力を与える象徴であったとも考えられています。
 それにしても、ツァラアトの原因となる罪が「高慢」というのは、興味深いものです。私たち人間の罪も、元をたどれば、エデンの園で神との約束を破ったことであり、そこには、神なる方を恐れない人間の高慢があったとも言えるのです。そして、それは、今の時代においても、神を頼らない、恐れない人間の姿にも、あらわれています。
 であるならば、今でも私たちに求められるのは、へりくだりの心、態度であるように思います。

 15章には、「漏出」ということが取り上げられています。性生活についての戒めと言えます。
 この「漏出」というのは、性器の感染症の類によって出てくる膿などはもちろん、健康な男女の射精や月経なども含まれています。感染症のみならず、生理的な「漏出」についても「汚れ」の対象になっているのは、多少の違和感を覚えるかもしれません。
 ただ、これは、性生活全般に対して汚れているということではないのです。むしろ、この戒めによって私たちが意識しなければいけないのは、神様の求める「きよさ」の奥深さ、なのです。性生活というのは、普段、見ることのできないところです。そのような、目に見えないところにまで、神様が「きよさ」を求めているということは、実際の性生活はもちろん、私たちの心のうちの「きよさ」をも求めているということなのです。
 日常において、私たちは自らを取り繕うことはできます。しかし、神様は私たちが見えないところをも見ているといるということを覚え、キリスト者としてふさわしく歩むことを意識しましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条