6章1〜7節には、罪のためのいけにえのことが記されています。
興味深いのは、2節において、「人が主に対して罪を犯し」とあるのに、「すなわち」として、「隣人への不実の行為」について記されていることです。つまり、隣人への不実の行ないは、神様への不実の行ないでもあるのだ、と聖書は教えていることになります。確かに、新約聖書においても、イエス様は、聖書の教えのなかで最も大切な教えとして、「神に仕えることと人に仕えること」とを教えています。
私たちは、礼拝を守ること、祈祷会を守ること、教会での奉仕に一生懸命であることについては、神様との関係を考えるのは当然だと思います。しかし、それと同時に、周りの人たちに対しては、誠実であったかということを、神様との関係のなかで考える必要があるのかもしれません。
そして、6章8節以降には、その罪のために人々が携えてきたささげ物について、祭司たちのなすべき取り扱いが記されています。6章8〜7章21節を読むときに、牧師として身を引き締めさせられます。なぜなら、牧師の仕事の一つは、信徒、兄弟姉妹がたのささげるささげ物をいかに管理し、用いるか、ということだからです。
多くの教会では毎年1、2回、教会総会が開催されると思います。そこで教会員ともども、ささげ物が適切に運用されているかを確認することは、大切なことなのです。
そして、「万人祭司」の信仰に生きる私たちにとっては、動物のいけにえではありませんが、神様から与えられた恵みや、託された賜物をいかに用いるかということも、考えなければいけないことかもしれません。私たちは、神様のみこころにかなった用い方をしているでしょうか。神様に対しては、忠実だけれども、人に対しては・・・ということはないでしょうか。
今一度、主から与えられた恵みや託された賜物の用い方を確認して参りましょう。