4〜5章には、「罪のためのいけにえ」(4章1節〜5章13節)と「罪過のためのいけにえ」(5章14節〜6章7節)について記されている。
レビ記では、祭司が大きな働きをしている。1章5〜9節には、「ほふられた動物(牛)の血を祭壇の回りに注ぎかけなさい。皮をはぎ、切り分けなさい。祭壇の上に火を置き、たきぎを整えなさい。これら全部を全焼のいけにえとして焼いて煙にしなさい」という祭司への指示が記されているし、他の箇所でも祭司はいろいろな働きをしている(1章15〜17節、2章2節・9節・16節、3章11節・13節・16節、4章16〜21節・25〜26節・30〜31節・34〜35節など)。
しかし、4章3節には、油そそがれた祭司が罪を犯した場合の対処方法について記されている。祭司は、主によって選ばれた者であり、民の罪の贖いをするために重要な働きをする立場にあったが、決して完全な人ではなく、彼自身も罪の贖いが必要だったのである(祭司職の頂点には大祭司が立てられるが、罪の贖いは大祭司にも必要なことだった)。
ヘブル人への手紙の著者は、この手紙のなかで主イエス・キリストを「大祭司」と呼んでいるが、キリストは他の大祭司たちとはまったく違う存在であった。
「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです」(ヘブル7章27節)
神が用意してくださった大祭司キリストの罪の贖いを心から感謝し、私たちも祭司としての務め(とりなし)に取り組もう。
「キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7章24〜25節)