レビ記は、出エジプト記の続編として記されている。
出エジプト記には、モーセを通して幕屋が完成したことが記されているが、そのモーセですら完成した幕屋には入ることができなかった(出エジプト40章35節)。会見の天幕には、主の栄光が満ちていたからである。
このことからもわかるように、罪を持つ人間は、そのままでは聖なる神に近づくことはできない。それで、神は、レビ記のなかで、どのようにして神との交わりを持つか、どのようにすれば神への礼拝が受け入れられるかを教えていくのである。
レビ記に最初に記されているささげ物(いけにえ)は、「全焼のいけにえ」である。このいけにえの特色は、いけにえのすべてが祭壇上で焼き尽くされたという点にある(これ以外の動物のいけにえは、脂肪の部分のみが焼かれた)。
「全焼のいけにえ」をささげる人は、「牛、羊、やぎ、山鳩、家鳩のひな」の5つのなかから、ささげる動物を選ぶことができた。
「全焼のいけにえ」をささげる人の願いは、「主に受け入れられること」であった(参照:1章3節)。そして、主に受け入れられるためには、主の指示に完全に従う必要があった。
1. 野で捕まえた動物ではなく、自分の家畜をささげること。
2. しかも、傷のない動物(最上の動物)をささげること。
3. そして、その動物をすべて焼き尽くすこと。
これらは、ある人々には「もったいないこと」であり、「無駄に思えること」かも知れない。しかし、主は、このような行為をとおして、礼拝者に「心からの献身をあらわすこと」を求められたのである。
時は流れ、神は、私たちを受け入れるために、自ら、完全な「全焼のいけにえ」(イエス・キリスト)を用意してくださった(参照:ヘブル10章5〜10節)。この神の献身を心から感謝し、私たちも神に自らをささげていきたいものである。