第6木曜 出エジプト記39章〜40章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【序】

 39〜40章には、幕屋で仕える祭司の装束の完成後に、幕屋の建立を迎えたことが記されている(40章17節)。

【今日の箇所から一言】

 祭司の使用する装束(エポデ、肩当て、帯、胸当て、青服、長服、かぶり物、ターバン、ももひき、飾り帯、記章の札等)を、ベツァルエルたちが作り終えたとき、「会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった」(39章32節)。
 そして、第2年目の第1月の第1日に、幕屋は立てられた(40章17節)。39〜40章では、「主が命じられたとおり」と言う言葉が繰り返し記されており、39章には10回(1・5・7・21・26・29・31・32・42・43節)、40章には8回(16・19・21・23・25・27・29・32節)記されている。彼らは、「主のことばを大切にし、主のことばに従い続けた」のである。

 39章43節には、「モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した」と記されているが、私たちはどうだろうか?
 私たちは、何が主の御心であるのかを正しく理解しているだろうか?
 私たちは、「この世のことば」に従うことを求めず、「主のことば」に従うことを求めているだろうか?
 私たちは、「主のことば」を信頼し、「主のことば」に従っていくことを願い、祈り合い、励まし合っているだろうか?

 現実の生活のなかでは、「どうしたらいいのか?」と悩むことや苦しむことが数多くあり、何が御心なのかわからないこともある。祈りに対する答えがないように思えることもあれば、「わかっているが、できない」ということもある。
 私たちは罪人であり、未熟さや愚かさ、弱さや身勝手さに振り回される者なのである。
 しかし、神は、そんな私たちを今も愛してくださっている。だから、私たちは、主イエスの十字架にあらわされた神の愛を信じ、主イエスのご生涯を思い巡らしながら、主のことばに従う道を選び取っていこう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条