39〜40章には、幕屋で仕える祭司の装束の完成後に、幕屋の建立を迎えたことが記されている(40章17節)。
祭司の使用する装束(エポデ、肩当て、帯、胸当て、青服、長服、かぶり物、ターバン、ももひき、飾り帯、記章の札等)を、ベツァルエルたちが作り終えたとき、「会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった」(39章32節)。
そして、第2年目の第1月の第1日に、幕屋は立てられた(40章17節)。39〜40章では、「主が命じられたとおり」と言う言葉が繰り返し記されており、39章には10回(1・5・7・21・26・29・31・32・42・43節)、40章には8回(16・19・21・23・25・27・29・32節)記されている。彼らは、「主のことばを大切にし、主のことばに従い続けた」のである。
39章43節には、「モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した」と記されているが、私たちはどうだろうか?
私たちは、何が主の御心であるのかを正しく理解しているだろうか?
私たちは、「この世のことば」に従うことを求めず、「主のことば」に従うことを求めているだろうか?
私たちは、「主のことば」を信頼し、「主のことば」に従っていくことを願い、祈り合い、励まし合っているだろうか?
現実の生活のなかでは、「どうしたらいいのか?」と悩むことや苦しむことが数多くあり、何が御心なのかわからないこともある。祈りに対する答えがないように思えることもあれば、「わかっているが、できない」ということもある。
私たちは罪人であり、未熟さや愚かさ、弱さや身勝手さに振り回される者なのである。
しかし、神は、そんな私たちを今も愛してくださっている。だから、私たちは、主イエスの十字架にあらわされた神の愛を信じ、主イエスのご生涯を思い巡らしながら、主のことばに従う道を選び取っていこう。