26章では幕屋本体についての作り方が指示されています。私の母校でもある東京基督教大学の図書館には、卒業研究として学生が作った「幕屋」の模型があります。実に見事な模型だと感心したことを覚えています。幕屋は長方形の枠を作り、その上に布を被せるという単純な構造です。
この幕屋には聖所と至聖所と呼ばれる空間が作られました。聖所には燭台と香の祭壇と備えのパンを置く台とが置かれていました。そして至聖所にはあかしの箱が置かれ、その中には後にモーセが主から授かる十戒の記された2枚の石板が収められました。この聖所と至聖所を仕切るために、垂れ幕がかけられました(26章33節)。垂れ幕で仕切られた奥の部屋、つまり至聖所には、大祭司が年に一度、大贖罪日に、贖罪の血を携えて入ることを許されていただけでした。
至聖所に収められていたあかしの箱は、主がそこからイスラエルに語られる(25章22節)と言われたように、主の臨在を示す重要なものでした。ですから、その箱の収められている至聖所には、大祭司のみが、しかも年に一度だけしか入ることが許されないのでした。仕切りの幕は、後に建てられる神殿においても、同じように作られました。そして、イエス・キリストが十字架で死なれたとき、神殿の幕は上から下まで真二つに裂けた(マタイ27章51節)のでした。仕切りの幕がなくなるとは、民が自由に(キリストをとおして)、神のもとに近づいて、その実声を聞く道が開かれたということです。この時代にあっては、まだ時が来ていないので、「幕」は必要不可欠なものとしておかれたのでした。
27章では、青銅の祭壇、幕屋の庭、燈火用の油についての指示が記されています。幕屋に入ると、そこにはまず青銅の「祭壇」が置かれています。主のもとに行き、その臨在を仰ぐために礼拝するには、いけにえが必要でした。そのため、祭壇が置かれたのです。究極的には「キリスト」といういけにえをとおしてこそ、主の御前に出ることができることを覚えたいと思います。
仕切りの垂れ幕が置かれ、年に一度しか、しかも大祭司しか入ることが許されなかったことは、主の御前に出ることの「畏れ」を私たちに思い起こさせるものです。また、それがキリストの十字架によって取り去られたことや、主の御前に進み出るためには祭壇にいけにえをささげる必要があったことなど、キリストをとおして私たちは自由に主のみもとに近づくことのできる恵みにあずかっていることを覚えさせるものです。この恵みを主に感謝し、主をほめたたえましょう。