第5水曜 出エジプト記21章〜23章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 今日の箇所には、少々ややこしく見える規定がいくつも記されています。時代・文化的背景があまりに違うので、読んでいてもピンとこないことが多いかもしれません。そういう箇所は、思わず飛ばして読みたくなることもあります。しかし、そのような箇所にも、神様の御心が豊かに示されています。

 例えば、「目には目。歯には歯」(21章24節)という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。これは「同害報復法」と呼ばれるそうです。一見すると野蛮な報復行為が許されているように思えるかもしれません。しかしこれは、「無制限の」報復に一定の制限を加え、さらに被った損害と同量の報復で満足すべきであることを意図しているものです。
 人間の人間に対する報復行為が無制限で終わりのないことは、私たち現代の社会を見れば明快です。相手に損害を与えれば、相応の賠償か罰を受けなければなりませんが、必要以上になされるならば、それは再び繰り返されてしまうかもしれません。まさに、終わりのない報復が繰り返されるのです。

 このようなことから、主は私たちに赦しや愛、寛容というものを教えようとしておられます。ここに記されている「奴隷」に対する扱いも、同時代の法規に比べると聖書の定めでは考えられないほど寛容であることがわかります。奴隷として買われた場合、6年間はそこで仕え、7年目には自由の身として無償で去ることができると21章2節に記されています。奴隷の身分は永遠に続くのではなく、解放の時が必ずやって来るのです。
 この7年目というのは、安息日の定めから来ています。興味深いことに畑でさえも、6年間は耕して収穫し、7年目には休ませなければならない(23章10〜11節)と定められています。安息の定めが奴隷や在留異国人、そして家畜にまで要求されているのです。主は、人に対しても動物に対しても、また土地に対しても、安息を守らせられるのです。すべての営みを休んで、主の御手のわざに思いをはせることは、造られたすべてのものの務めであり特権であることを覚え、感謝をささげましょう。

 様々な定めが語られた後、主の教えに従順であるように勧告がなされ、さらには主がイスラエルの民を約束の地へと確かに導いてくださることを語ります。主の教えを守り行うことが、約束の地への道を確かに歩んでいくために不可欠なことなのです。今日も、主の約束を信じ、主の教えに忠実に歩みましょう。


【信仰告白】

[2] 使徒信条