第5月曜 出エジプト記16章〜18章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

 エジプトを旅立ってちょうど1か月経ったイスラエルの民は、相変わらず主に対する不満をつぶやいていました。荒野をさまよううちに、エジプトにいたほうがよかったと口々に言います。しかし主は、マナと呼ばれるパンとうずらをもって民を養ってくださいました。このことをとおして、「あなたがたはわたしがあなたがたの神、主であることを知るようになる」(16章12節)ためでした。しかも主は、「毎日」「余ることもなく」「足りないこともなく」民を満足させてくださったのです。
 主は、私たちにも「みことば」という天からのパンを毎日、それも絶妙な配分で与えて満たしてくださいます。このことを確信しつつ、(主の祈りで)「日用の糧を今日も与えたまえ」と祈るのです。

 さらに、レフィディムというところでは、アマレクとの戦いが起こり、そこでも主の御手がイスラエルのうちにあることを知らしめられました(17章)。モーセは神の杖を手に持ち、アロンとフルをつれて丘の頂に立ちます。彼が手を上げているとイスラエルが優勢になり、手を下ろすと劣勢になるという現象が起こります。「手を上げる」という姿は、「祈り」の姿を示すものです。イスラエルの勝利のために、モーセが手を上げて主に祈ると、主がイスラエルのために戦ってくださり、勝利してくださるのです。モーセは「執り成し」をする者として、民と主の間に立っていたのです。そして、執り成しの祈りは、傍らにいたアロンとフルによって支えられ、成し遂げられたのでした。

 モーセのしゅうとイテロが、モーセの妻と息子を連れてモーセのもとにやって来ました(18章)。イテロはイスラエルの指導者であるモーセに物申しますが、モーセはその申し出が御心にかなっていることを認め、素直に聞き入れました。指導者の資質として大切なこととして、他人の意見に謙虚に耳を傾けることが挙げられます。モーセはそのとおりで、この賢明な判断によって、彼自身は、民の多くの問題を裁くことに割いていた時間を、神の教えを民にしっかりと教える務めに使い、それに専念できるようになったのでした。

 主は、すべての必要をご存知で、私たちを相応しく満たし、整え、導いてくださいます。私たちも、互いに執り成しの祈りをささげ、リーダーとともに重荷を担い、主の御心に忠実に歩まなければなりません。


【信仰告白】

[2] 使徒信条