モーセとアロンはパロ(ファラオ)のところに行き、荒野へ3日の道のりの旅をさせ、自分たちの神、主にいけにえをささげさせてくれるよう交渉します。しかし、主があらかじめ仰せられていたように(3章19節)、エジプトの王は強いられなければイスラエルの民を行かそうとはしません。かえってイスラエルの民の労役を重くするよう命じました。その結果、モーセとアロンはイスラエル人からも責められるようになりました。
八方ふさがりのようになったそのとき、モーセは主のもとに戻り、そして申し述べたのです(参照:第一コリント10章11〜13節)。主は、この出エジプトという歴史的出来事が、「わたしは主である」と名乗るご自身の「強い手」によるみわざであることを繰り返し語られます。それは、主とイスラエルの民とが結んだ契約の成就なのです。主は「伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う」(6章6節)とおっしゃいます。それは、御子イエス様の血という尊い代価によって、私たちが罪の赦しという恵みを受けた、という福音の奥義を示す言葉です(エペソ1章7節)。出エジプトの出来事は、神である主の救いのご計画の全体を預言的に啓示しているのです。
そして7章からは、主の介入による十の災いがもたらされます。まずナイルの水がことごとく血に変わります。エジプトの呪法師たちも同じことをしますが、血を水に戻すことはできません。エジプト全土は深刻な水不足となりますが、主の言われたとおりパロの心はかたくなになり、モーセたちの言うことを聞こうとはしませんでした(7章22節)。