第3火曜 創世記38章〜40章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【38章】 人の考えと神の計画

 37章から始まったヨセフ物語ですが、38章でユダのエピソードが挿入されています。神様の壮大な救いのご計画のなかでユダはイエス様につながる家系ですが、ここにはそれに相応しくない人間の愚かさ満載の出来事が記されています。
 ユダは、神の民である兄弟たちから離れ(1節)、曽祖父アブラハムも(24章3節)祖父イサクも(28章1節)禁止したカナンの女性と結婚し、長子エル、次男オナンは神を怒らせ(7・10節)、約束(11節)を無視して三男シェラと嫁のタマルを結婚させず(14節)、自分はカナンの遊女を買い(16節)、嫁タマルに騙されて子を儲け(18節)、その嫁の不貞を知り、焼き殺させようとさえした(24節)人なのです。
 人の考えはことごとく愚かですが、その愚かさをとおしても、神様のご計画は遂行されます。

【39章】 罪を憎み、神を恐れる

 ヨセフが「売られた」のは不幸であり、試練でした。しかしその状況に反してヨセフは幸運であり(2節)、さらにヨセフによって主人もその家族も幸運を受ける者となりました。その幸運の源は神様だったのです(5節)。ヨセフをとおして周りを祝福したように、神様は私たちをとおして周りを祝福するお方です。
 さて、そのようなヨセフの次の試練は「誘惑」(7・12節)でした。彼はこの誘惑に対して拒否し、結局は罠にはめられ監獄にいく羽目になりましたが(20節)、またしても幸運に恵まれ(21節)、神様が成功させてくださったのです(23節)。
 「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか」(9節)とあります。不運から幸運に、常に神様の祝福に至るヨセフの特徴は、「悪を憎み、神を恐れる」ことであったと言えます。

【40章】 神のなさること

 投獄された献酌官と調理官というのは王の側近で高級官僚でした。収監されていた期間は定かではありませんが、ヨセフが世話をし、信頼関係が築かれるまでになっていました(9節参照)。一説によると、ヨセフはこの時期に高官たちから政治・経済などを学んだとも言われています。もしそうなら、監獄が未来の宰相の学び舎だったのです。これも神様のなさることです。
 さて、収監中の2人の高官が、夢を見て心配しました。それに気づいて(6節)、的確に声をかけたことが(7節)、夢を語らせ、夢を解き明かす機会となりました。これは「神様のなさること」というヨセフの神様に信頼する姿勢によるのです(8節)。そしてヨセフの夢解きのとおりになりました(21〜22節)。ただ、ヨセフの計画(14節)どおりにはならず、献酌官長はそのことを忘れ、パロ(ファラオ)に進言しませんでした(23節)。しかし、これによって、ここぞのときに、直接パロの夢を解き明かし、エジプトの支配者になっていくのです(41章41節)。
 自分の願いどおりに物事が進むことが、神様がともにおられる証拠ではなく、神様のなさることに時があることを教えられます。


【信仰告白】

[2] 使徒信条