ここには、「エサウ=エドム」あるいは「エサウ=エドム人の先祖」という表現が5回記されています(1・8・9・19・43節)。エサウはヤコブの双子の兄で、父はイサク、母はリベカです。当時の習慣で言えば、兄のエサウが跡継ぎとなるべきでした。しかし、エサウは長子の権利を軽蔑し(25章34節)、神様の祝福を軽んじたのです。
創世記の書き方の特徴の一つは、直系の歴史の前に傍系の歴史(あるいは系図)を記すというものです。アダムの歴史(5章)の前にカインの系図(4章)、イサクの歴史(25章19節)の前にイシュマエルの歴史(25章12節)という具合です。ここでもヤコブの歴史(37章2節)の前にエサウの歴史(1節)が記されています。
さてここに、エサウの妻がカナン人であったことが記されています(2節)。祖父アブラハムも(24章3節)、父イサクも(28章1節)、カナン人と結婚させないようにしました。もちろん現代の人種差別的な意味ではなく、信仰の純粋さを保つということでしたが、エサウはそれを軽視したのです。
エサウはたくさんの財産を得て(7節)、子孫や民族も増え広がっていきました。しかし神様との関係が記されていません。そして後には、神の民の敵となり(第一サムエル14章47節、第二歴代20章など)、滅ぼされていくのです。
一時的なこの世の成功と、永遠の神様の祝福を比べれば、一目瞭然ですが、それでも前者を求める者が多いのも事実です。
ヤコブには13人の子どもがいました。ヤコブが最も愛した妻、故ラケルの長男ヨセフは、特別に愛されました。そのことで兄弟の嫉妬を買います。実はヤコブ自身も偏愛の両親のもとで育っていたのです(25章28節)。ヨセフを亡くしたと思ったとき(35節)、親の失敗を思ったかもしれません。また、父を騙した山羊(27章16節)によって、自分も騙されています(31節)。過去の罪が繰り返されるかのようです。
この箇所のあらすじは、以下のとおりです。ヨセフは羊飼いでした(2節)。ヨセフは父の愛を一身に受け(3節)、また父に従順でした(13節)。しかし彼は支配者になる夢を見(7・9節)、兄弟たちに憎まれ(4・5・8節)、殺そうと謀られ(18節)、最終的に嫉妬によって銀20枚で売られました(28節)。このヨセフは、イエス・キリストのひな形とか予型といわれます。37章から抜粋した上記のヨセフに起きた出来事は、すべてイエス様と重なります。イエス様は、よき羊飼いであり、父なる神の愛する子であり、従順でしたが、救い主であることを示すと、同胞のユダヤ人に憎まれ、売られ、十字架で殺されるのでした。
しかし、この箇所には書かれていませんが、ヨセフはエジプトの支配者になり(41章41節)、世界を救う者となりました。同じようにイエス様も、救いを完成させ、神様の右の座に着く王となられました。過去の失敗が繰り返されるように見えるなかでも、神様の救いのご計画だけが成就していくのです。そこに私たちの希望があるのです。