第3日曜 創世記34章〜35章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【34章】 原因と結果

 事の始まりは、ヤコブの一人娘、ディナが独りで家を出て遊びに行ったことです(1節)。その結果、この土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは、彼女をはずかしめました(2節)。もちろんシェケムが悪くないわけではありませんが、思慮分別に欠けた行動の代償は大きなものでした。
 シェケムは、この大きな罪をごまかすためなのか、男としての責任を感じたのか、自己中心の気持ちのまま結婚を言い出します(4節)。さらに、その父ハモルは「どんなに高い花嫁料」(12節)でもかまわないと、お金で問題を解決しようとしています。謝罪や反省ではなく、ごまかしや問題のすり替え、本質的な問題の解決を避ける態度が、次の問題につながっていきます。
 13人兄弟の唯一の女の子を汚された兄達の怒り(7節)は、わからないわけではありません。確かに最初に悪を行ったのは相手でした。しかし、罪に対して罪で報い、神様からの選びの印である割礼を騙しの口実に使い(14〜16節)、弱っている相手を一族もろとも滅ぼし(25節)、盗み(27節)、そして結局そこにいられなくなる(30節)という結果を招きました。そもそも、この問題は、果たすべき約束(31章13節)を果たさず、まっすぐにべテルに帰らなかったことに原因があったのかもしれません。
 私たちには例外なく、罪という原因と、死という結果がある、と聖書は言います。それとともに、その原因と結果の因果関係を断ち切ってくださったイエスさまの十字架があることも、聖書は教えます。ここに希望があるのです。

【35章】 従う者の祝福

 ハランからシェケムまでの数百kmと比べれば、ヤコブたちが住んでいたシェケムと神様が示すベテルとは数十kmしか離れていません。本来はもっと速やかに神様を礼拝するべきベテルに行くべきでしたが、ヤコブはハランからシェケムに戻って数年間(参照:33章17節)、まるで神様との約束を忘れたかのようでした。ヤコブが国を出るとき持っていたものは杖のみでしたが、神様の恵みのゆえに今は多くの財産を持ち(32章10節)、唯一の心配の種である兄エサウとも和解した後、神様は約束を思い出させます(1節)。苦難を体験し、神様の言葉によって約束を思い出し、自分のすべきこと(礼拝)をはっきりと悟り、偶像を排除し(2・4節)、ベテルに出発します。
 神様の示す道にまっすぐに従い始めたヤコブたち一行は、不思議な力に守られて(5節)、ついにベテルにたどり着き、神様との約束を果たすことができたとき、神様は新しい名前、そして子々孫々にいたる大いなる祝福を与えてくださいました。
 この章には、母リベカの乳母(8節)、愛する妻ラケル(19節)、そしてイサク(29節)の死が語られています。私たちも日常のなかで死を経験します。悲しみや痛みを伴いますが、人は必ずいつか別れを経験しなければなりません。だからこそ、それを超えさせてくださり、死の解決を与えてくださる、神様の祝福こそ、すべてにまさって私たちの求めるべきものなのです。


【信仰告白】

[2] 使徒信条