2人の妻、姉のレアと妹のラケル、さらにはそれぞれの女奴隷ジルパとビルハとの間に、次々と男子をもうけていくヤコブ。本来なら大喜びするはずのこれらの出来事も、夫をめぐる女たちの争いの物語となってしまっては、悲劇というほかありません。しかもこれらの出来事におけるヤコブの存在感はまったく希薄です。
女性たちは、夫の愛情を勝ち取りさえすれば満足できると思い、躍起になります。しかし、彼女たちの心は、かえって憎しみやねたみで縛りつけられていくのです。恨みや復讐心では、人は生きて行けません。そこに十字架の赦しがそびえ立たない限り、人は真に罪から解放されることはないのです。
人間の欲や罪が生み出す様々な思惑にもかかわらず、主なる神がお与えくださる恵みと慈しみについて、ヤコブとラケルとの間に与えられた念願の子どもヨセフの誕生の出来事を通して教えられたいと思います。
姉のレア、そして女奴隷のジルパとビルハが、愛する夫ヤコブの子どもを次々に出産しているのに、いまだ自分の腹を痛めた子を産んだことのないラケル。その切なる願いがついに叶えられます。「神はラケルを覚えておられた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた」(22節)。こうしてラケルに与えられた子どもは、ヨセフと名付けられます。さらに神は恵みを加えて、ラケルにもう一人の子、ベニヤミンを与えられるのでした。
ここに私たちは、主が増し加えてくださり、付け加えてくださる恵みの大きさ、豊かさを見ることができます。それまで子どもが与えられないがゆえに希望を持てず、汚名をかぶっていたラケルが、主なる神の恵みによってその汚名を取り去られ、新たに子どもが与えられ、さらにそれにもう一人の子どもまでも与えられるという恵みの経験をしていくのです。
ラバンのもとで働く月日が経つうちに、ヤコブのなかに焦りにも似た感情が生まれ始め、ついに彼は生まれ故郷に戻る決断を下します。「ラケルがヨセフを産んで後、ヤコブはラバンに言った。『私を去らせ、私の故郷の地へ帰らせてください。私の妻たちや子どもたちを私に与えて行かせてください。私は彼らのためにあなたに仕えてきたのです。あなたに仕えた私の働きはよくご存じです』」(25〜26節)。
これを聞いたラバンは慌ててヤコブを引き留めました。そのためヤコブは、続けてラバンのもとで働くことになり、その間に家畜を殖やし、財産を整えていくようになります。それは新たな旅立ちへの、備えのときでもありました。