長子の祝福を巡って兄から命を狙われるまでになったヤコブは、両親のもとから旅立っていきます。「ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った」(28章10節)。この旅立ちは決して希望にあふれたものではありませんでした。それは兄からの逃亡の旅であり、両親との別離の旅であり、見知らぬ土地へと向かう孤独の旅でもあったのです。
しかしそれはまた、ヤコブが祝福の継承者となっていくための、かけがえのない人生訓練の旅でもありました。自分自身と向かい合い、自分自身を深く省みる自省の旅であり、目に見える祝福からひとたび離れていく旅であり、家族、一族揃っての礼拝の交わりから離れる旅であり、「一人で神の前に立つ」ための旅だったのです。
こうして彼はその旅路の途上で、生ける神との出会いを経験していきます。主なる神がともにおられること、それが「ベテル」(神の家)の経験だったのです。
ヤコブは、神様との遭遇の出来事の記念として、石の柱を築き、礼拝を捧げ、そこを「ベテル」(神の家)と名付けると、そこで神の御前に誓願を立てます。ヤコブの新しい出発の記念です。
ヤコブは、「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、無事に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられる」(28章20〜21節)と告白し、この神に対して「石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます」(同22節)と献身の表明をします。ここに神とともに歩むヤコブの、契約の継承者としての人生が新しい出発を迎えるのでした。
29章では、ヤコブのハランにおける新しい人生が描き出されていきます。「ヤコブは旅を続けて、東の人々の国に行った」(1節)。生まれ育った父の家ベエル・シェバから荒野を経ておよそ1,000kmにわたる旅の末、ヤコブはついに祖父ベトエルの家、叔父ラバンの住むパダン・アラムに到着します。そして、まるで偶然辿り着いたかのように見えるこの場所で、ヤコブは運命的な出会い、妻となるべきラケルとの出会いを果たすのです。
しかしその後のヤコブの人生は、決して平坦なものでありませんでした。叔父ラバンに欺かれての労働の日々、ラケル、レアとの結婚生活における苦難。これらを通してヤコブは、人生の刈り取りを経験し、そのなかでさらに主の訓練を受けるのでした。