信仰の父アブラハムの175年にわたる波乱に満ちた地上での生涯が閉じられます。「以上は、アブラハムの一生の年で、175年であった。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた」(25章7〜8節)。
行き先を知らずにウルの地を後にしてから、約束の地を目指して歩んだ旅の日々が50年あまり、そして約束の地カナンに定住しての日々がおよそ50年。一言で振り返るにはあまりに多彩な、実に様々な出来事のあふれる人生でした。そういうアブラハムの人生全体の締めくくりに当たり、聖書はその日々の終わりが平安な老年であり、生涯を全うしたと記します。
神の御心に従って生きるとき、その人生は真の意味で全うされ、満ち足りた人生となる。これが聖書の人生観です。
「これはアブラハムの子、イサクの歴史である。アブラハムはイサクを生んだ」(25章19節)との書き出しで始まるこの箇所から35章までが、神の契約に基づく創世記の新しい展開となります。父母同様、イサク夫妻もなかなか子どもが与えられず、神に祈り求める日々でしたが、ついにその祈りは応えられ、妻リベカは双子を身に宿します。
やがて月が満ちて生まれた双子は、実に対照的で個性的な息子たちでした。長男は毛深く赤いことからエサウと名付けられ、次男はエサウのかかとをつかんで出て来たことからヤコブと命名されました。やがて、エサウは猟師で野の人、ヤコブは穏やかな人として成長します。
しかし、長子の権利をめぐる確執のなかで、神の約束を軽んじるエサウから、策略を用いてでもそれを得ようとするヤコブへ、その権利が移されていきます。人間の罪深く愚かな営みを通してさえも、神の選びは弟ヤコブにあることが明らかにされていくのです。
26章には、イサクが遭遇した試練と過ちが記されます。それは父アブラハムもかつて経験した、飢饉という試練と、自分の妻を妹と偽るという過ちでした。皮肉なことにアブラハムからイサクに受け継がれていったものは、信仰のみならず罪の性質も含まれていたのです。
イサクをこのような失敗に導いた原因。それは、人々に対する恐れと、神に対する不信仰でした。人々を恐れて神様の守りを信じなかった彼は、妻を妹と偽り、結果的にゲラル王に不利益を招くことになるのです。
これらの試練と過ち、またゲラルの谷間で井戸を掘り返す経験を通して、イサクは、ただ単に父アブラハムへの祝福の約束を自動的に受け継ぎ、次代に引き継ぐのではなく、自らの手でその約束を受け取り、受け渡していくのでした。