第2日曜 創世記21章〜23章



【祈り】

[1] 主の祈り

【聖書通読のたすけ】

【1】 契約の実現

 12章で与えられた神の契約がついに実現し、アブラハム、サラ夫妻にこれまで繰り返し約束されてきた待望の男児が与えられます。「主は約束されたとおり」に年老いた不妊の女サラを顧み、「仰せられたとおり」に、主の使いの来訪から1年後、サラにイサクを与えられました。神の契約は人間的な常識や不安をいっさい払拭するほどに確かなものなのです。
 「イサク」という名は「彼は笑う」という意味です。かつてアブラハムはイサク誕生の約束に対して不信仰のゆえに笑い、サラもまたその約束を笑いました。しかし神はご自身の契約にどこまでも忠実であられ、恵みを施してくださるお方であり、サラを真の喜びに満たしてくださったのです。

【2】 契約の危機

 こうして与えられた契約の子イサクについて、神はアブラハムに大きな試練を与えられます。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」(22章2節)。
 この最大の試練に対して聖書は、アブラハムの内面に踏み込むことをせず、むしろ彼が淡々と従っていく様を描きます。口を閉ざし黙々と3日の道のりを歩み、息子を焼くためのたきぎを自らの手で用意し、それを息子の背に背負わせ、そうやって神の命じられたモリヤの山へと向かっていく。奥深い信仰の世界とそこでの神との真剣勝負の関わりということを教えられます。
 しかしそのようにして主に従い続け、イサクを主にささげたときに、主はその信仰を受けとめ、イサクにかわるいけにえの雄羊を備えてくださいました。主はまことにご自身のためにすべてを備えたもう「アドナイ・イルエ」なるお方です。

【3】 葬りを越えて

 主にささげ、主から新しくイサクを与えられたアブラハムに、次なる試練が訪れます。それは最愛の妻サラとの死別でした。彼は妻の死に際して「嘆き、泣いた」と記されます。息子イサクをささげよ、との命令を受けたときには淡々と主の命令に従っていったアブラハムも、このときには涙を流して嘆き悲しんだと、創世記はアブラハムの心の動きをそのまま伝えています。
 しかし彼はいつまでも嘆き続けていたわけではありません。ヘテ人マクペラの墓地を買い求め、そこに妻の亡骸を葬りました。後の日のよみがえりを信じ、旅人、寄留者として生きる信仰者の姿を、ここに見出します。


【信仰告白】

[2] 使徒信条