昨日読んだ箇所では、まだ子どもが与えられていなかったアブラムは、「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と約束されたのである。そして、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(15章4・6節)、という展開を見てきた。しかし、それでもまだ生まれていないし、やがて「あなたから生まれる」と言われても、妻であるサライから生まれるなどとは言われていない。その大きな問題が残されたゆえに、今日の箇所の大部分は、一体誰が神とアブラハムとの特別な絆や祝福を受け継ぐのか、アブラハムの子孫に関わる記述である。
まず16章で、これ以上待ちきれないサライは、当時の社会において合法な解決によって、自分の女奴隷を通して子を得ようとするのである。しかし、これは主が命じた方法ではない。
聖書は、サライがとった行動はいけなかったと明言してはいないが、3節を直訳すると、サライは自分の女奴隷を「取って」自分の夫に「与えた」となっている。注意深くヘブライ語原典を読んでいた最初の読者はここで、禁じられた実を「取って」自分の夫に「与えた」と同じ言葉で言われているもう一人の女のことを思い出したはずである(3章6節を参照)。そうすると、読者には嫌な予感がわいてくるはずである。
いずれにしても、この結合から生まれるイシュマエルは、アブラムの家庭においても、後の子孫の間にも、これから良くもあり悪くもあることをもたらす存在となるのである(16章12節も参照)。
17章には、神はアブラハムと2つ目の契約を結び(1つ目は15章に記述されている)、その契約はイシュマエルとではなく、アブラハムの妻サラがやがて産むイサクと立てられる、という展開について書かれている。他のエピソードと比べて、この契約に関わる約束、条件、しるし、受け継ぐ者のアイデンティティー等について、わりと細かく書かれていることからもわかるように、アブラハムに対する約束が成就するためにこの箇所は極めて重要な出来事を記述している、と言うことができる。
18章は、あの有名な「ソドムとゴモラ物語」の前半である。「非常に重い」罪を犯していると訴えられたこれらの町を裁くために来た不思議な人物が、まずアブラハムとサラを訪れる場面で始まっている。ただ読めばその面白さや真剣さが十分に伝わってくる話ではあるが、この章を読む際、特にアブラハムという人物と、主なる神とアブラハムの関係とが、どのように描かれているか、そして、アブラハムが代表する子孫にとってそれがどれほどの励みになっているかについて考えながら読んでいただきたい。