週の歩みも後半に入ります。昨日の個所にもありましたように、キリストは竜であるサタンに完全に勝利されましたが、敗者に等しいサタンはまだその働きを続けます。この個所では竜を拝む獣が登場するのです。頭には神をけがす名があって、打ち殺されたかと思われた頭の傷も治ってしまった。だから、全地は驚いてこの獣に従い、竜を拝んだというのです。
けれども、これは嘘です!見せ掛けに過ぎません。なぜなら、もうサタンはキリストとの戦いに敗れて、決して治ることのない決定的な傷を負っているからです。死んだも同然なのです。しかし、それでも、サタンとその使いの獣は巧みに神様や天に住む者たちをののしって、あたかも自分たちが勝者のように人々を誘います。
2番目の獣も地上に住む人々を惑わし、最初の獣の像を造らせて、それを拝まない者は全て殺されたとあります。さらに、獣を拝まずに額にその刻印がなければ、誰も買うことも売ることもできない。つまり、生活することもままならないというのでしょう。私たちの目には、あたかも、サタンが勝利したかのように見えるかもしれません。
しかし、この獣の傲慢は神様の許可によることを覚えたいのです。5節で獣は42ヶ月間活動する権威を与えられましたし、7節でも、あらゆる部族・民族・国語・国民を支配する権威を与えられました。ですから、あくまでも神様の支配のなかで、神様に用いられる形で、その範囲で、獣は活動することを許されているにすぎないのです。
ヨハネの黙示録は、小アジアでローマ帝国からの迫害を受けている7つの教会に宛てて書かれた手紙です。小アジアの7つの教会はこのような迫害を受け、ローマ皇帝の崇拝を求められていました。私たちはどうでしょうか?命にかかわるような目に見える迫害はまだないかもしれません。けれども、サタンは巧みに教会を惑わし誘惑します。
ですから、たとえ私たち人間の命が無くなることがなくても、サタンの誘惑によって、キリストから与えられている復活のいのちが倒れそうになることがあるのです。しかし、そのようなとき、私たちは、ほふられた小羊のいのちの書にその名が書き記されていることを覚えましょう。その事実こそ、私たちにとっての福音に他ならないのです。