引き続き黙示録から御言葉に聞きましょう。最初に、「神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ」という不思議な命令があります。神様の神殿、礼拝する、ということは、要するに私たちにとっての教会です。ですから、この教会の部分を測れば、そこを私は守ると言われているのでしょう。しかし、それ以外の場所は神様のことを信じない異邦人たちに踏みにじられる、と言われるのです。迫害がなされるということなのです。
私たちがこの世で信仰生活をする限り、そこにはいつでも迫害があります。このときは教会が非常に試されるときです。ひょっとすると、迫害によって教会が打ち倒されてしまうかもしれないのです。
その迫害のなかで2人の証人が登場します。この2人は預言をする者たち、つまり、神様を伝えてその証しをする者たちでした。しかし、この2人の証人は神様に敵対する獣に殺され、その死体は都の大通りにさらされます。
教会にしてみれば、もう駄目か・・・、と思うかもしれません。けれども、8節に「彼らの主もその都で十字架につけられた」と言われるのです!2人の証人は、いや、さらには私たちキリスト者は、神様を証しすることのために殉教するかもしれない。しかし、そのときこそ教会にとっての勝利のときだということなのです!それは、同じように死なれたキリストご自身が勝利なさったからに他なりません。
最後の7番目の天使がラッパを鳴らします。いよいよ、善い者には報いを与え、悪人には滅びを与える神様の裁きがなされようとします。「この国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される」(15節)という、私たちには想像もできないようなすばらしい宣言がなされます。そして、そのように裁きをなさる神様をひれ伏して「礼拝する」ということがなされるのです。
私たちが世で苦しむとき、職場で、学校で、人間関係に疲れ果てるとき、私たちが見上げるところは神の国です。主が永遠に支配なさる神の国です。福音の完成のときです。そのときこそ、私たちが2人の証人のようによみがえりにあずかって、ひれ伏して主を永遠に礼拝するのです。