昨日に引き続き黙示録の裁きが語られます。6番目の天使がラッパを吹き鳴らして、4人の御使いたちが解き放たれます。そして、この御使いたちは、人類の3分の1を数え切れないほどの軍勢によって殺すために解き放たれました。しかし、ここで生き残った人類は、神様を畏れて悔い改めて従ったのかというと、そうではありませんでした。人間の罪は何と浅ましいのでしょう!罪人は何と愚かなのでしょう!この期に及んでも、まだ偶像を拝み、人を殺し、魔術に踊らされ、不品行に汚れ、盗みを犯すのです。
6・7節にありますように、7番目の天使がラッパを吹くときに神様の御業が成就します。裁きが近づいているのに、最後まで自分の罪を悔い改めず、神様を信じない人々には滅びがあります。では、一方の私たちはどうなのでしょうか?ヨハネは、巻き物を取って食べなさい、という不思議な命令を別の天使から命じられます。それは、ヨハネにとって蜜のように甘く、同時に苦いものでした。
巻き物、つまり、御言葉はまさに私たちにとって蜜のように甘いものです(そうでなければ、このように聖書通読をやろうなどとは思わないのではないですか?)。御言葉は、神様に救われた私たちの信仰生活を支えるものです。ですから、まさにここに、私たちの全身を流れるような救いの甘さがあるのです。
しかし、一方で私たちの地上での信仰生活にはまだ罪の苦しみや悩みがあります。つまり、私たちが避けたいと思うような苦さがまだあるのです。私たちは、その罪の現実に向き合わなければなりません。けれども、それは無駄な苦しみではないのです。私たちが、主イエス・キリストの十字架の御跡をたどっているということなのです。
たとえ苦しみのなかにあっても、主が私たちを確実に救いへと導いて下さるとの確信の下、今日一日の歩みをいたしましょう。