1節、最後の第7の封印が解かれる前に、「地の四隅に立」つ4人の御使いの働きは、神様のしもべたちに対する守りを示すものです。2・3節、もう1人の御使いの持つ「印」は神様の所有とされている、つまり保護されていることを表すものでしょう。4節、ヨハネが聞いた、印を押されている人々の数は14万4千人でした。これは、文字どおりイスラエル人を指すよりも、贖われた者のすべてを象徴的に表すと考えた方が正しいでしょう。「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆」(9節)とあるように、14万4千人が象徴的な数であることが言えます。また、これはイスラエル人に限定されることなく新約聖書まで貫かれている「アブラハム契約」を思い出させます。
10節、「救いは、・・・神にあり、小羊にある」と信仰告白がなされています。11・12節、神礼拝に集中している様子が読み取れます。13・14節、この「白い衣を着」た無数の人々は、その衣を「小羊の血で洗って、白くしたのです」。これは、すべてのキリスト者のことであり、そのなかには、「大きな患難から抜け出て来た者たち」もいるのです。15〜17節、「昼も夜も」は、昼も夜も絶え間なくという意味です。永遠の日の到来とともに、光である神様の前に闇は消え去るのです。「聖所で・・・神に仕えているのです」ここに、完全な形での万人祭司の事実が実現します。「小羊が、彼らの牧者となり」キリストが、羊を導く牧者でありばかりでなく、羊のために命を捨ててくださった「良い牧者」であり、「神の小羊」であることが、完全な意味で実現します。