「イエス・キリストの黙示」(1節)とは、イエス・キリストに関する真理を究極的な現実の幻という手段を用いて明らかにするものです。
「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである」(3節)。この預言の言葉とは、2節で言われているヨハネのキリストの証のことを指しています。
「ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ」(4節前段)。著者ヨハネからアジア(現在のトルコ地方)の7つの教会に(2〜3章)のみ語られたものではなく、「7」という数字が完全数を意味するところから、世々の教会全体を象徴的に指しているものなのです。だから、私たちにも意味を持つ言葉なのです。
「今にいまし、昔いまし、後に来られる方」は、父なる神様。「御座の前におられる七つの御霊」聖霊なる神の完全性の説明。そして、5〜8節はキリストの説明。つまり、三位一体の神様から、世々の教会全体へ「恵みと平安が、あなたがたにあるように」(5節)と始めにあいさつがあります。
ヨハネは「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」「イエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者で」した(9節)。つまり、この1世紀末には、多くの教会は不当な迫害下にあったことが分かります。そして、ある主の日に御霊に感じてこのような声を聞いたのです。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい」(11節)。7つの教会に手紙を送るように言われています。これが2〜3章にかけてのメッセージとなります。
さて、12〜18節は、ヨハネがこの声の主を知ろうとその姿を見た様子が記されています。それは、人の子イエス・キリストの象徴的表現です。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている」(17節後段・18節)
「七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である」。教会の御使いとは、ヨハネに与えられた黙示(幻)のため内容が象徴的になってしまいます。具体的に何なのかは説明が難しいです。さて、いよいよ教会のかしらであるキリストから教会への手紙が送られます。