「蒔いた種は刈り取る」とは、幼い頃から親に教えられてきた教訓であり、幼心には脅迫的効果を発揮していました。今思い出すと本当に怖かった・・・。
ユダは5節以降で、主を信じなかった出エジプトでのイスラエルの民、神に挑戦した天使、ソドムとゴモラ、カイン、バラム、コラと、立て続けに背信した者たちを例に取り上げて、その結末の悲惨さを描きます。神への背信は、霊的な自殺行為です。聖書はそのことを警告し続けていますが、それにもかかわらず全地上的に神への背信行為は繰り返されていきます。そのようななかでのユダの勧めは、
(1)自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、
(2)聖霊によって祈り、
(3)神の愛のうちに自分自身を保ち、
(4)キリストのあわれみを待ち望みなさい、
というものでした。神への献身と従順に生き、悔い改めの日々を生きよというのです。この地上での歩みは「人生日々是悔い改め」です。旧約の人物たちの失敗から学んで自分のなかにある高ぶりを認め、聖書の警告に従って悔い改めの日々を送り、神の赦しを待ち望む、これが信仰者の歩みです。その歩みの先にあるものは、罪の呵責による苦しみではなく、神の赦しによる完全な救いと平和なのです。
ユダの手紙は現代に生きるキリスト者への警句です。謙遜に耳を傾ける者でありたいです。