「人の目が気になる」とはよく耳にする悩み相談です。自分が周囲からどのように評されているかが気になる人は少なくないようです。本音を言えば、誰だって人から良く見られたいのです。だから、人から誤解されると激しく憤るのですが、逆に自分の本当の姿を知られてしまうと恥ずかしくて人の前に立つことなどできなくなってしまいます。私たちの本当の姿とはみじめな姿なのです。
さて、この手紙の宛先はガイオですが、彼はヨハネから短い手紙のなかで3度も「最愛の人」と呼ばれるほどに強い友情と尊敬を受けていた人物です。また、彼は誰からも好意を得ている人格者であり、敬虔な信仰者でもあったようです。一方でデオテレペスは、教会のなかで誹謗中傷を繰り返し、教会のメンバーを追い出すようなことまでしていたのです。そのようななかで、ガイオを励まし、キリストのからだなる教会を清く保つために、この手紙は書かれました。デオテレペスは、これまで見てきたような反キリスト的な教理的異端者ではないようですが、その問題行動で教会を混乱させていた極めて危険な人物だったようです。当然両者の評価は大きく分かれます。
私たちは自分の評価を気にして、それが下がったり傷ついたりしないようにすることに神経を使いますが、そのこと以上に、自分自身がキリストの教会を汚して混乱させていないか自問すべきでしょう。守るべきものは自分の評価ではなく、キリストのからだなる教会なのです。見習うべきはガイオの姿なのです。