3章の後半から「互いに愛し合う」という言葉が頻繁に登場することに気がつきます。「互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです」(3章11節)、「神の命令とは・・・私たちが互いに愛し合うことです」(3章23節)、「私たちは、互いに愛し合いましょう」(4章7節)、「私たちもまた互いに愛し合うべきです」(4章11節)、「もし私たちが互いに愛し合うなら・・・神の愛が私たちのうちに全うされるのです」(4章12節)。
これはイエス・キリストが繰り返し弟子たちに教えておられた戒めです。しかし、私たちのうちには愛がありません。完全に堕落しきった私たちには自分のうちから愛を生み出すことはできませんが、ただ神様によってのみ愛を受けてそれを反映させて愛を実践することができるのです。ヨハネも「愛は神から出ている」(7節)と言い、私たちはその愛を一方的に受け取ります。しかしその愛は私たちが受け取るところで完結するものではありません。神から出る愛は、私たちを通してその愛が現わされ実践されて、次の世代へとそれが受け継がれていくものであり、神から出た愛を受け取った者同士が、その一方的な愛を与え続けることによって、互いに愛し合うという状態が成立するわけです。私たちは、愛の源であるイエス・キリストから愛をいただくことによって、神の命令を守る者と造りかえられていくのです。