この手紙の記者は、教会を脅かす危険思想、すなわち反キリストとの対立を明確にしています。ここでは反キリストという言葉が特定の個人を指しているように読み取れますが、必ずしも人間だけに限られたものではなく、キリストとの対立関係にあるもの、同時に私たちをもキリストと対立させようとするものも指しています。そしてそれは必ずしも人間の形をとるわけではなく、諸宗教や諸現象、価値観や生き方のなかに現れるものです。教会のなかにもキリストへの献身を妨げるような世俗的価値観や怠惰がありますし、クリスチャンのコミュニティーのなかにもキリストとの関係が実質的に断たれてしまっている人がいます。それらは確実に私たちの信仰を蝕んでいくのです。
そのようなものを反キリストと呼ぶのは過剰のようにも思えます。しかし反キリストは、それとはっきりわかるような姿では現れませんので、通常はあまり気づきません。それは私たちの警戒心を低く抑えるためです。イエス様が「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です」(マタイ7章15節)とおっしゃったとおりです。だから私たちは十分に警戒しなければならないのです。私たちは、私たちと神様との関係を妨げるもの、またクリスチャン同士の愛し合う関係を脅かすものに敏感でなければなりません。そしてそれを自分の生活のなかから取り除くための努力をすべきです。