2章では、信仰と行いとがしっかりと結びつけられ、互いが鮮やかに表現されている教会生活・信仰生活を送るように勧めた後、3章では、さらに具体的に説き勧めています。それは「ことば」に関することでした。「ことばで失敗をしない人がいたら、その人は・・・完全な人」(2節)と記すほど、ことば、舌、口に現れてくる罪の根深さを指摘します。
馬はくつわによって、船はかじによって思いのまま制御されるのに、「舌を制御することは、だれにもできません」(8節)と事態の深刻さを浮き彫りにしています。小さな舌ひとつは、実に「人生の車輪を焼」くほどのすさまじい威力で猛威をふるっているのです。そうした恐ろしい現実を考えもしないでいることは、あってはならないことだと言います。それは「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせる」(11節)ことがないように、信仰者も一方で神をほめ、一方で人をのろうことは、本来ありえないことなのです。
9〜12節は、「当たり前のことに気づいてほしいだけなのです」、「目指すべき地を見据えて今日も歩んでほしい」、「あなたがたの悲惨で、欺瞞に満ちた現状を見過ごさないでいただきたい」という叫びにも似た訴えであり、あなたへの投げかけなのです。信仰によって生きる者は、徹底的に「地に属し、肉に属し、悪霊に属するもの」(15節)と行いをともにせず、「純真・・・平和、寛容、温順」(17節)とともに働いてほしいと励まします。
「いったい、どうしたらそんな生き方ができるのか」、「私には到底無理なのではないか」と落胆し、あきらめる必要はありません。なぜなら「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来る」(1章17節)と、知恵が与えられることは手紙の初めから約束されているからです。今、恐れずに上から知恵で満たされるよう求めましょう。私たちを完全な者にしようとたゆまず導いてくださるお方に、朝も、夕もこう祈る者でありたいのです。「私の舌は、あなたのみことばを歌うようにしてください」(詩篇119篇172節)。