ヤコブの手紙は、「公同の手紙」と呼ばれている7つの手紙の最初の書簡です。「公同の手紙」とは、パウロの手紙のように明確な宛名としての教会や個人名がなく、信徒全般に向けて書かれているものです。
まずヤコブは「試練」について語っています(2〜12節)。2節では「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」と言っています。試練に会いたいと思う人は、あまりいないでしょう。できれば、試練になど会わず、穏やかに毎日を過ごしたいと考える人が多いでしょう。
しかし、ヤコブは試練を喜ぶようにと言うのです。なぜでしょうか?
試練を通して、信仰をためされ、忍耐を迫られます。そしてその試練を耐え抜いたとき、信仰者として大きく成長を遂げ、完全なものとされるのです(3節)。
試練に打ち勝つためには、知恵が必要になるでしょう。その知恵を与えてくださるよう神に願えば、それは与えられます(5節)。与えられるための条件は、「少しも疑わずに、信じて願う」(6節)ことなのです。
神からの応えがすぐに得られないとき、私たちは不安に陥ることでしょう。神は、私たちの願いを間違いなく聞いていてくださるお方です。不安な気持ちを抱えたときには、その思いを祈っていけばよいのです。その祈りの後、不安な気持ちに神からの平安が与えられるのです。
13〜18節は「誘惑」について語っています。神は誰のことも誘惑されるようなお方ではありません。誘惑の裏には、必ず自分の欲があることを忘れてはなりません。
19節以降は「神のみことば」について語っています。みことばをしっかり聴き、それを素直に受け入れることによって、私たちのたましいは救われます(21節)。
みことばを聴き、イエス・キリストの福音を知った信仰者は、キリストに似た者となりたいと願います。キリストに似た者となるためには、キリストがそうであったように、みことばを実行する(22節)ことが大切なのです。