11章で多くの信仰者たちの信仰を見てきました。1節では、信仰者の生涯を競走に例えて記しています。「こういうわけで・・・私たちも・・・」とあるように、この信仰者たちを見習って、忍耐を持って走り続けようではありませんか、と勧めています。
そのためには、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで」いること(2節)が大切です。ゴールがはっきりしていなければ、完走することはできません。道に迷ってしまったら、ゴールにはたどり着けません。私たち信仰者の一番のお手本である、イエスから目を離さないで、その信仰生活を送ることが、そのレースを完走する秘訣なのです。
4節以降は、「神の訓練」について記されています。神は、私たちを「子」と呼んでくださいます。子どもを甘やかし、欲しいものをすべて与えるだけでは、その子どもは成長できません。必要な懲らしめや、訓練を通して立派に成長していくのです。
苦しみや困難のなかに身を置いているとき、私たちは神に忘れられているような、見捨てられているような、とても不安な気持ちになることでしょう。
しかし神は私たちを耐えられない試練に会わせることはありません。耐えることができるように、試練とともに脱出の道を用意していてくださいます(Iコリント10章13節)。私たちは、この試練を通して成長し、神に用いられる器として整えられていくのです。
私たちは聖くなければ、主を見ることができません(14節)。聖くあるためには、「よく監督する」ことが大切(15節)と記されています。
私たちの周りには、悪や誘惑が溢れています。そのようなものに心を奪われないように、イエスを見続けていくことが大切なのです。