「百聞は一見にしかず」ということわざにもあるように、目に見ることは理解をする上で大きな助けとなるものです。
しかし、この箇所では、信仰は目に見えないものを確信させるものです(1節)と言っています。目に見えないものを、確かなものとして信じるというのは、簡単なことではありません。しかし、それを可能にしてくれるのが「信仰」です。
では信仰とは、いったい何なのでしょうか?
信仰とは、待ち望んでいることが必ず実現すると確信して疑わないこと(1節)であり、目に見えないものを悟らせること(3節)ができるものです。私たちが待ち望むものは、まだ先の出来事であるかもしれませんし、一般的な常識では信じられないようなことであるかもしれません。
4節以降では具体的に旧約聖書の時代の信仰者たちの生涯を例にあげて、信仰について語っています。
信仰によってアベルは、良いものを神にささげ、神に喜ばれました(4節、参照:創世記4章1〜7節)。
信仰によってエノクは、神に喜ばれました(5節)。その与えられた生涯を神とともに歩んだからです(参照:創世記5章22節)。
信仰によってノアは、まだ見ていない事がら、つまり実際に雨の降る前から神の警告を信じ、恐れかしこんで箱舟を作りました(7節、参照:創世記6章9〜22節)。
信仰によってアブラハムは、どこに行くのかを知らずに旅に出て(8節、参照:創世記12章1〜4節)、約束の地が与えられることを信じて天幕生活をしました(9・10節)。また、その妻サラとともに、神が約束された子孫が与えられることを信じました(11節、参照:創世記21章1〜3節)。
6節に「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」とあるように、私たちも旧約聖書の時代の信仰者たちを見習い、神に近づき、神を求め、信仰をもって神に喜ばれる生活をしていきましょう。